| 尾張氏の神域、古代祭祀の山、東谷山を探る。 | |||
| 尾張戸神社 参道 |
名古屋市内最高所 東谷山 (十軒家方面より望む) |
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◆尾張氏の祖神を御祭する、尾張戸神社(おわりべじんじゃ)。 |
| 「東谷山(とうごくさん)は熱田の奥の院」と言い伝えられてきたように、古くから、衆人に篤く崇拝されてきた。山頂にある尾張戸神社は、尾張氏の祖神である天火明命(あめのほあかりのみこと)、天香語山命(あものかぐやまのみこと)、建稲種命(たけいなだのみこと)を御祭神とする。延長五年(923年)には延喜式に記されており、近隣でも稀な古社である。また近世には名古屋城の鬼門の守護神として徳川藩主より崇敬された。 ここは名古屋市内では最高所だけあって、神社からの展望は美しく、現在では夜景のスポットとしてガイドブックにも紹介されている。 |
◆尾張氏とは----説@/水辺の海部氏と陸の丹羽氏 |
| 現在の尾張の国は1800年ほど前までは、知多半島を中心に「海部の国」を支配する海人(アマ)氏と犬山・木曽川流域を支配する丹羽(ニワ)氏に分かれていた。この海人氏が勢力を拡大し尾張氏になったという。尾張氏は海産物をはじめいろいろな貢物によって大和王権と結びつき、最盛期には美濃から伊勢北部までを傘下に治めた。 景行天皇の時代の東征は日本武尊を将軍、尾張氏の祖神・建稲種命を副将軍として行われたが、建稲種命は戦死。その妹君の宮簀姫が日本武尊に嫁ぎ、尾張氏は完全に大和朝廷の支配化に治まることになったと言われている。 |
◆尾張氏とは----説A/丹波族の流れを汲む尾張氏 |
| では、海人氏(海部)とは、どんな氏族だったのだろうか。一説によれば、丹波地方を支配していた原日本人の丹波氏の分流が、海人氏ではないかと言われている。 丹波氏は抵抗を繰り返しながらも、丹波地方から大和朝廷に追われて、尾張の地に移ってきたのだろうか。 また、海人氏は「海幸彦と山幸彦」「浦島太郎」の物語にも関係し、古代日本統一に深く関与しているとも思われる。 |
◆古代祭祀の面影を色濃く残す東谷山(写真をクリックすると詳細が見れます) |
| 尾張氏についてはいろんな説があるが、この東谷山周辺には数々の古墳と伝承が残っている。一般的には「東谷山フルーツパーク」が有名なだけで、その歴史は知られていない。歴史の中で大きな権力により封印された何かがあるような気がする。そんな思いでこの山を散策してみると、いろいろなものが自分の想像力と結びついていく。 |
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